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最近の私の部屋のベランダは、グリーン一色になっている。
狭いベランダながら、オリーブの木、ラベンダー、ミニバラ、ポインセチア、 ゼラニウム、ジャスミン、ハーブ類の鉢が所狭しと並んでいる。 オリーブは苗から育てて3年目。黄色い花が、ついこの間まで綺麗に 咲いていたけれど、今は枯れてちょっと汚くなっている。 ミニバラは時節、赤い花を咲かせてくれるけれど、今はちょうど中休み。 ラベンダーは去年の今頃買ったので、うちへ来て1周年。 たくさんの蕾ができているけれど、咲くのはあと数日後。 ジャスミンは、4月にたくさん咲いて、その後はちょこちょこ咲いていたけれど、 今はツルが伸びる一方だ。 春に剪定をしたポインセチアとゼラニウムは、順調に育っている。 また両方とも、剪定時に挿し木を試みたのだけれど、 こちらも今のところ、枯れている気配はないので恐らく成功? ポインセチアの挿し木は初めてで、去年は失敗しているので、 今年はどうやら成功しそうな気配がうれしい。 さて、そんなわけで花咲く草木もちょうど中休み状態の上に、 今年から始めたハーブの緑が青々しく、私のベランダは すっかり野原のようになってしまった。 本当に隙間がほとんどなくて・・・・・アリがその隙間をウロウロ行列しているのが かろうじて見えるくらいです。 今栽培しているハーブは、ローズマリー・レモンバーム・レモンタイム・バジル スペアミントなのだけれど、こんなにハーブが美味しく楽しいとは思わなかった。 特に、レモンバームとミントは2~3日に1度は収穫できるので、 どんどん収穫してはサラダに入れている。 レモンバームとミントときゅうりのサラダがお気に入りで、最近は青虫にでも なった気分だ・・・・・なーんて言ってたら、ものすごくデカい青虫が何匹もいて、 こればかりは腰を抜かしてしまった。 本当に大きくて・・・・・5cmくらいありそうだった。本当に。 ・・・・・気持ちワル。 レモンタイムとローズマリーは、ステーキや焼肉の時にコマメに使っている。 いつものお肉もワンランク・アップって感じだ。 こんなに簡単で美味しいなら、もっと昔にハーブを育ててみればよかった。 ・・・・・始めは食べることに躊躇していたのになあ、私。 もうすぐ、大半の植物が苦手な夏が来る。去年はゼラニウムを数本枯らせてしまったので、今年は何としても 絶対うまく乗り切らなければ・・・・・。 そして両親の田舎も関東。 関東以外の旅行もあまりしたことがないので、 標準語以外の言葉をナマで聞く機会はあまりなかった。 (もっとも、父の田舎は結構キツイ方言のある地域だけれど、 私の前では全ての会話が標準語になるので困った覚えがないだけか?) 関西弁のナマは、大学に入って初めて聞いた。テレビと同じでちょっと感動した。 でも、関西ふたり組が何やら私に話しかけてきたので、すごく真面目に話をきいていたら、途中で「・・・そんなワケないやん!」「冗談だから、つっこんで~!」って口々に言われて、目が点になってしまった。 確かに「コイツの高校は飛び級ができるんで、年が違うねん」 とか言ってた気がするけれど、あまり深く考えずにふんふん頷いていたら怒られた。 そうか、ココ、つっこむところなのか。 まるで気がつかなかったよ。 そんな普通の会話でいきなり漫才が始まるとは思わなかったので、油断してた。 っていうか、初対面って普通、気楽に聞ける話をしながら相手の反応をうかがうんじゃないの~??? どうも私は冗談が通じないタイプらしい・・・・・。 知ってたけど。 でもこの一件から、標準語以外の言葉に興味を持つようになった私。 で、ことある毎に関東以外の出身者を見つけては、「地元の言葉で喋って~!」 とリクエストするようになった。 大阪とか神戸出身の人達は、普段から自分達の言葉で話しているので、 今さら頼むこともない。 普段、標準語で話している人に地元の言葉で話してもらい、 それによっていつものその人が違って見えるのを確認するのが楽しかった。 だって標準語しか話せない私から見れば、地元の言葉をすらすら操る地方出身の友達は、かなりかっこよく見えるのです。 まるで別人かと思うほどで(普段がかっこ悪いと言っているわけではなく!)、何だか違う一面を見せてもらっているようで、すごく惹かれたりする単純さ。 私は語学が好きなので、いくつも言葉が出来る人を無条件に尊敬してしまうのです。 記憶に残る友達は、奈良、京都、広島、熊本、名古屋出身。 奈良の友達は、なぜか普段から標準語で通していた。 私のイメージでは、奈良は関西弁の一種だと思っていたので、 当然関西弁で話すのかと思っていたから、彼が奈良出身ときいてびっくりした。 何で普段から奈良の言葉で話さないのかときいたら、 「こっちに来たら、絶対標準語で話そうと心に決めていたから」と あまり回答にならない回答をもらった事を覚えている。 そして京都の友達も、これまた京都弁で話してくれない。 きけば、周りが京都弁じゃないから標準語の方が話しやすいって言ってた。 奈良の彼も京都の彼も、「・・・~なのよ」「・・・~じゃん?」「・・・~でしょ?」って、 こっちの男性が話す普通の話し方をする。 けれど以前、大阪出身の女友達から、男性が標準語を話すと女性っぽくて嫌、 ときいた事を思い出す。 「~じゃん」とか「~でしょ?」っていう話し方が女の人みたいで弱弱しく?きこえるそうだ。 でも、奈良の彼も京都の彼も、そんな言葉に別に抵抗はないらしい。 私にはふたりとも、よくいそうなマイルド系の人にしか思えなかった。 それが、地元の言葉で話してもらってびっくり! それって反則だろ~っていうくらい、イメージが変わった。 何だか突然、強い人になったみたいだった。 大阪の彼女が言っていたのは、このことかと思った。 どちらの話し方が良い、悪いではないけれど、こんなに言葉って 人のイメージを変えるものなんだなあと感激した。 その後、広島と熊本の男友達に同じ事を頼んだ。 これまた、このふたりとも普段はメチャクチャ穏やかに優しく話す人達だったので、 どれだけ雰囲気が変わるかとワクワクしてきいた。 きいてびっくり! 全然違う!っていうか、怖いですよ!ドスきかせたでしょ! 私が「全然イメージ違う~!」とか面白がっていたので、調子に乗って かなり凄みをきかせてしゃべってくれたふたり。 これで怒られたら泣いちゃいそうである。 標準語って実はあまり怖くない言葉だったのかと実感した。 大声で怒鳴られるから怖いだけで、言葉自体は怖くなかったのね。 というか、私が単に標準語には慣れているということだけかもしれないけれど。 そんなワケで、最初はビビってしまったけれど、次の瞬間「カッコイイ~!」と すっかり感動してしまった。 最後に名古屋の友達。 関西弁や九州弁と比べると、かなりマイルドに思えた。 というより、標準語を話している時とイメージが全く変わらず。調子も変わらず。 名古屋弁の有名なところで、「ケッタマシーン(自転車)」とか、「机をつる(運ぶ?)」とか教えてくれたけれど、そして語尾が多少変化するようだけれど、穏やかで優しい言葉にきこえた。 5人ほど名古屋出身の友達がいるけれど、全員穏やかな名古屋弁を披露してくれたということは、名古屋弁は比較的、標準語のみの取得者でも何とかなりそうな似た系統なのかもしれない(と、根拠なく分類してみる)。 名古屋出身の友達が結構仲が良い子だったので、余計身近に感じてしまう。 いいな~、標準語以外に喋れる人。 私が今さらどこかへ引っ越しても、絶対完璧な発音で話せるようにはならないのだろう。 英語だって最低10歳くらいまでに発音を覚えないと、ネイティブのようには 話せなくなるっていうし。 それでも語学が好きなので、いつか是非、どこかの言葉を話せるようになってみたい。 先日カンヌ映画祭の上映会では、失笑を買ったという噂だけれど、日本では逆にその海外での反響が話題となり、朝から映画館は長蛇の列らしい。 キリスト話が好きな私としては本当は是非見たいところなのだけれど、 実は昨年友人から「ダ・ヴィンチ・コード」の小説を借りたのに、途中で挫折して 返してしまった過去があり、今イチ足が映画館へ向かわないのだ。 それと前評判では、映画だけでは意味が分かりにくいとのこと、 小説を読むなり、事前に知識をつけるなりしないと映画を楽しめないような気がする。 いきなり見て困惑した「ロード・オブ・ザ・リング」の二の舞になりたくないし・・・・・。 というわけで、昨日テレビでやっていた「ダ・ヴィンチ・コード」の特集を見た。 映画に出てくるダ・ヴィンチの謎のメッセージについて、いくつか解説していた。 簡単にいうと、ダ・ヴィンチ作の「モナ・リザ」や「最後の晩餐」に、イエス・キリストの 真実についてのメッセージが隠されているという話で、イエス・キリストが 結婚して子供をもうけていたという説を信じるダ・ヴィンチが、それを世間に 公表するわけにいかないので、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」の絵の中に、 ひと目では分かりにくい表現でそのメッセージを描いているというのである。 イエスの奥さんとされる人物は、「マグダラのマリア」という娼婦で、 イエスに悪霊?を払ってもらって信者になったとか、 イエスの足に香油を塗って、自分の髪で拭ってキスをしたとか、 聖書の中ではそんなエピソードが登場した気がする。 (キリストの足に香油を塗ったマリアは別のマリアという説も一部あるらしいけど) 昔聖書を読んだ時は、このマグダラのマリアはイエスによって罪を清められ、 熱心な信徒となった女性・・・・・というイメージくらいしかなかったけれど、 男性信徒とのエピソードが多い中で、女性信徒ということで私の記憶にも 印象的に残っていた。 私としては、「そっかー、ただの熱心な信者じゃなくて恋人から奥さんになったんだー」 って受け入れるのは簡単なのだけれど、キリスト教的にはイエスが妻帯者で子供もいたなんて、やっぱりまずいんだろうな。 だってそんな人間くさくなってしまったら、イエスの 神聖味が薄れてしまうしなー。 それに今さらそんな解釈、バチカン的に認められるはずないし・・・。 その説(イエス妻帯者説)が真実なのかは別として、ダ・ヴィンチがそのメッセージを絵に盛り込んだという説は面白いと思う。 当時は異端的な発言ができる時代ではないことを考えると、誰にも分からないかたちでこっそり、自分の主張を盛り込んだダ・ヴィンチのやり方にとても感心してしまう。 やっぱりもう一度、頑張って小説チャレンジしたくなった。 近所のお寿司屋さんの大座敷で落語を見た。たまたまいつもと違う道を歩き、お寿司屋さんの玄関に何気なく目をやると、定期落語会の文字が・・・・・。 ある有名な一門の落語家さんたちが、2ヶ月に1回定期的に落語会を開いているようで、 ちょうどその日が公演の日だった。 あと2時間後か・・・・・当日券もあるっていうし・・・・・。 何といっても近所というのが、面倒クサがり屋のウチにはポイント高し。 早速、落語好きの母を誘って行く事にした。 あとで知ったけれど、お寿司屋さんでやる落語公演って結構あるらしいですね。 その日は50名ほど、ほぼ満席。 3人中2人の落語家さんはまだそんなに有名ではないようだけれど、 トリを務めた真打さんは、ラジオのパーソナリティーも務める有名な落語家さんらしい。 始めのおふたりは現代話だったのだけれど、申し訳ないけれど、 ちょっと面白くなかったかな。 普通の会話をきいているようで、イマイチ笑いのツボが分からず・・・・・。 けれど、こういう現代話も落語家さん本人が考えるのではなく、 専門の脚本家?みたいな人がいるのだろうか? あれは話し方の問題だけではなくて、内容が厳しかった気がする。 でも、さすが声の大きさはすごいなあと思った。 で、このまま終わっちゃうのかと思ったところで、真打さん登場。 キャリアが圧倒的に違うのが、こんな観覧素人の私にすら歴然。 前フリの世間話も面白かった。 そして、さっと羽織を脱いで、古典落語に移ったら拍手喝采。 江戸の町の長屋一家と遊郭の女将さん、橋の上で飛び降り自殺をしようとしていた 大きな飾り問屋の丁稚。 ちゃんとそれぞれの顔が浮かんできたので、これが落語という感じなのかと思った。 落語好きの母も知ってる古典だったので、余計比較ができて楽しかったらしい。 ちょっと違う気もするけれど、私の中の落語のイメージといえば、やっぱり「笑点」! 子供の頃から祖母や母につられてよく見てた気がする。 私が好きなのは、桂歌丸師匠。 何だかあの風貌が江戸っ子そのものという気がして、 すぐに噺に引き込まれてしまう。 江戸時代の人と言っても私の中には全く違和感がないのだ。 けれど今回、ナマで落語を見て思った。 あんなに若手と真打、その芸暦で実力が違うとは思わなかった。 当然といえば当然なのだろうけれど、見慣れない私でも大差を感じるほどだった。 そして、その真打さんも、桂歌丸師匠のクラスには遠く及ばない。 よく分からないけれど、その差に感動を覚えてしまった。 年齢が増せば増すほど、熟練度を増す。 漫才のように、流行や観客の年齢層にウケ方が左右されるわけではない。 漫才では若手がいきなり一番人気になる事もあると思うけれど、 熟練した噺家にかなう若手の噺家は絶対いない。 つまり、これが伝統芸能なんだろう。 偶然通りがかってこんな機会に恵まれたけれど、ナマで見れてよかった。 久しぶりに笑点が見たくなった。
とうとう植替えをかねて、ポインセチアの春の剪定をした。
いろいろと調べると、5月上旬の暖かくなってきた今頃が剪定のベスト時期のよう。 そういえば、去年もGW中に剪定したっけ。 どこで切ろうか緊張しながら、早速ハサミを入れた。 結局去年は、約1mまで伸びてちょっと巨木になってしまったので、今年は梅雨時や夏頃にコマメに剪定して、あまり大ぶりにならないようにしたいと思う。 ![]() ![]() 高さ約20cmまで、切り戻してみた。 (剪定前、剪定後) そういえば、去年もこの高さで切った気がする。 本当はもっと思い切りよく下の方でハサミを入れたいのだけれど、何だか心配でイマイチ勇気がない。 これで本当に大丈夫? いつも思うけれど、もし植物と話すことができたら、水のあげすぎで根腐れおこしたり、日光の充てすぎで葉焼けをしたり、そんな失敗しなくてすむのにな~。 そしたらお互い?気持ちよく共同生活できるのにな~。 あっ、でも旅行とか行って帰って来たら、水が足りなかっただの、外に出してほしかっただの、いろいろ文句を言われそうだ。 それも嫌だからなあ・・・・・しばし妄想中。 私は、1年を通してポインセチアを育てたのは去年が初めてだった(毎年冬に買っては、春に枯らしてた)。 だからポインセチアは、冬は赤に色づいて綺麗だけれど、他の季節は冬の美しさだけを楽しみに淡々と育てるモノだと思っていた。 でも全然そんな事はなくて、春に剪定した後、新芽が出てきては徐々に伸びてくる姿がうれしかったり、夏には青々と葉を茂らせている姿が涼しげだったり、秋になるといつ赤くなり始めるかとドキドキしたり、年間を通してその生長がずっと楽しみだった。 今年はどんな形に育ってくれるんだろう・・・・・と、とても楽しみなんだけれど、あまりにばっさり枯れ木のように刈り込んだので、新芽が出てくるまではちと心配な日が続きそうだ。 先日、日本ハムの新庄選手が、ユニホームの下のアンダーウェアに襟付きシャツを着て試合に臨んだそうだが、翌日の試合では襟付きシャツを禁じられてしまった。
以下、毎日新聞より。 ~~~日本ハム・新庄剛志外野手が4月30日のソフトバンク戦に襟付きアンダーシャツで出場した問題で、パ・リーグの前川芳男審判部長は1日、日本ハム、ソフトバンクの両球団に対し、同様のアンダーシャツの使用を禁ずると連絡した。 新庄は試合前に審判団の了承を得ていたが、ソフトバンク側は「青少年に悪影響を与える」と抗議していた。公認野球規則には「アンダーシャツの外から見える部分は、同一チームの各プレーヤー全員が同じ色でなければならない」とあるが、形についての規定はない。前川部長は「ネックウオーマーなどがOKとなっているため許可したが、ビデオを見ると違和感がある」と話し、「チーム全員が襟付きならいい。規定にないからルール違反ではないが、マナーの問題。審判部として正す」と語った。~~~ え~~~っ、別にいいじゃん。 かっこいいのに・・・・・。 「青少年に悪影響」←どんな影響? 「ビデオを見ると違和感」←後からビデオ見て思っちゃう程度ならたいした違和感ではないのでは? 「マナーの問題」←どこがどうマナー違反? ちょっと目が点になってしまいました。 私は普段あまり野球を見ないし、新庄選手に思い入れがあるわけではないのだけれど、このニュースきいたら、思わず試合をテレビで見ちゃいましたよ。 っていうことは、新庄選手のパフォーマンスは十分良い宣伝になってるわけです。 野球だって人気商売なんだから、ああいう変わった楽しい選手がいると、次に何やってくれるかってワクワクしちゃう。 新庄選手の野球人気貢献度はなかなかスゴイと思うのだけれど。 本当の野球好きの人や、野球に誇りを持っている人にとっては、そんな外見やパフォーマンスで目立つより、試合で活躍して目立て!ってところでしょうね。 でも、良い試合内容で野球人気に貢献する選手もいれば、新庄選手みたいな型破りな発言と態度で注目を浴び、人気に貢献する選手がいてもいいと思うのですよ。 野球好きの人はどうやっても野球好きなのだから、新庄選手の言動が平凡だろうが、変わっていようが、その人数は変わらないわけです。 でも、私のように野球に興味のない人間でも、あんな楽しい選手がいるなら、ちょっと観てみようかな~って思っちゃったりもするのですよ。 そうした新境地の開拓も、人気商売として必要な事なんじゃないかな~って思ってしまいました。 新庄選手、そんな声に負けないで、もっとおもしろい事をいっぱいやって下さい! ところで、ここで「新しい事を始めるのはいいんじゃない?」という私の思うところをいろいろ書いてみたけれど、それは野球だからです。 サッカーでも同じだけれど。 つまり日本の伝統的なスポーツじゃないから、型破りでも度を越していなければ良い気がする。 でも日本を代表する伝統的なスポーツに関しては、その文化を守ってほしいんだな~、相撲とか。 私の知ってる限りで若貴ブームの時代は、相撲人気がすごかったと思うけれど、最近はどうなんだろう。 今の相撲を見ていらっしゃる世代が変わり、いつか私たちの世代がその年代になった時、果たして相撲を観に行く人はどれくらいいるのだろう。 ちゃんと国技として存続する事ができているのだろうか。 自分は全く観に行かず、貢献もしていないクセに、ちょっと心配してみたりした。 外国にいると、相撲とか柔道とか空手とかの話題をフラれる事がある。 そんな話題を楽しそうに話されるとこっちも何だかうれしくなる。 アメリカでもモロッコでも、柔道場を観に行った事があるが(日本人だと言うと、なぜか柔道場の見学に誘われてしまうのはなぜ?)、その国の子供達が白い柔道着を着て、始める前は日本語で挨拶して、一生懸命練習していた。 日本の柔道がそっくりそのまま受け継がれているようで、ちょっと感動するモノがあった。 こんな遠くの小さな町で日本の文化を見るとは思わなかったし、日本語を聞けるとも思わなかったので、何だか胸がいっぱいになった事を覚えている。 そういえば、今、相撲界は外国人力士が多い。 祖国の家族の為とはいえ、こうして日本の伝統を守る一端を担ってくれているのはとても有難い事だと思う。 ![]() 厳しい業界だと思うけれど、是非頑張ってほしい。 ・・・・・って、新庄選手の事を書いていたのに、 全く違う話になってしまったのはナゼ? ブログを検索してみたりした。 「文化の問題なので、感情論で批判するのはやめてほしい」という私と同意見の方もいれば、「世界を敵に回してまで、クジラに固執する理由が分からない」、「調査捕鯨という名目で年に1,000頭捕獲するなんてセコイ事をするより、堂々と捕鯨ができるようにもっときちんと説明するべきだ」、「クジラの敵は人間以外にいないのだから、捕獲する事で生態系が守れるのでは?」、「靖国問題のように外国から批判されているからわざと日本政府が反対しているようにしか思えない」・・・などなど賛否両論、いろいろな考え方があった。 ブログを書いていらっしゃる方の年代がはっきり分からないので何とも言えないけれど、私のように過去に給食などでクジラ肉を味わった世代は、一番意見の分かれるトコロなのかもしれない。 実際に身近に感じていた食べ物だけに(好き嫌いは別として)、思うところがそれぞれあるのだろう。 けれど、気がついたら捕鯨問題があったような世代(10代の人たち?)にとっては、それこそ何でわざわざクジラを食べたがるの?って感じなんだろうな。 それに対して、親の世代は基本的に捕鯨賛成派が多いような気がする(勝手な推測だけれども)。 ちなみに私の母親(団塊の世代より少し上)に捕鯨問題についてどう思うかきいたところ、間髪おかずに「捕鯨賛成!!!」、理由は「食べたいからっ!!!」。 ・・・・・そうですよね~。 人間の欲求そのまんまのいたってシンプルな理由ですよね~。 あんまり堂々とした意見なので、ここに日本の捕鯨問題に対する真髄を見た気がした。 「食べたいから」・・・・・その欲求の前には、どんなカッコイイ文化論や環境論、政治論も全て霞んで見えますよ、まったく~。 さて、いろいろな意見があるのはいいとして、私が検索をしていて一番驚いたのは、この捕鯨問題、欧米人に突っ込まれる度合いがかなり高い話題だという事だ。 イギリス在住の方のブログでも、オーストラリア在住の方のブログでも、現地の人たちに「日本人はクジラを食べるから嫌だ」とか、「何でクジラを食べるのか?」などと挨拶もそこそこに訊かれる場合があると書いてあった。 そんな熱い話題なんて知らなかった。 日本人がいきなり突っ込まれる話題としては、中国、韓国などのアジア系の人たちによる第二次世界大戦系の話題くらいしか思いつかなかったけれど、捕鯨問題って欧米圏では今、そんなに熱い問題だったんですね~。 いちいち挨拶代わりにそんな議論振ってこられたら、いかにも大変そうである。 相手と同じ意見の人はいいけれど、相手が怒りそうな意見だったら、大変な議論になりそうだ。 けれどこの件に関しては、アジア系の人たちとの戦争責任問題と違って、どんな回答をしたところで相手の心情は全く考えなくてよいのだから、ある意味、議論しやすい話題なのかもしれない。 私とかだったら、始めは「日本の文化だから・・・・・」とか言ってても、しまいには「食べたいからよっ!文句ある?!」とかキレて言っちゃいそうである(本当は別に食べたいわけじゃないのだけれど)。 それでもしつこかったら、「私から見たらカンガルー食べるのも信じられません!」ってオーストラリア人とかに言っちゃいそうである。 そして、一気にそこで暮らしにくくなるという・・・・・・。 こんな態度、いけませんね~。 それこそオーストラリア人の勝手なわけですから。 郷に入れば郷に従え。 いきなりそんな話題を突っ込んでくる姿勢もその国の話し方なのだし、悪気があって言ってるわけではなく、普通に疑問に思ってきいてる人もいるだろうし、その国にいる以上、それはそれで受け止めなければいけませんよね~。 けれど自分の意見を曲げるのも嫌だし、険悪なムードになるのも嫌なので、あいまいに話をはぐらかしては話題を自然に変えていくという、逃げるが勝ち戦法を取るのが一番でしょう。 ・・・・・ そんな私は、NoともYesとも言わない典型的な日本人です、ハイ。 先日、こんなニュースを耳にした。
![]() ”イタリア北部、ビチェンツァ市の裁判所は、客寄せのアトラクションとして生きた「ロブスター」を「氷の上」に飾っていたレストランに対し、動物を虐待したなどとして688ユーロ(約9万9000円)の罰金を命じた。 この裁判は、地元のある環境保護団体活動家が子供2人と共に同レストランへ行き、ロブスターを目撃し、衝撃を受けたのがきっかけ。 活動家は、動物保護団体に連絡、訴訟に踏み切った。” このニュースをきいて思った事。 ・・・・・うっ。 それと比べたら、日本なんていろいろアウトですよね? 魚の活造りとか、イカの踊り食いとか、アサリの味噌汁とかも生きたまま鍋に入れて火にかけちゃうし、そういえば海鮮鍋でも、無理矢理入れられたエビが鍋が熱くなってきたら、ピョンピョン飛び跳ねてますよ? もしかして縁日の金魚すくいも相当ヤバイ??? 今回のイタリアのロブスター事件もさることながら、欧米諸国の動物愛護運動家って、何だか必要以上に忙しそうだといつも思う。 私は別に、今回のロブスター事件を批判しているわけではない。 それどころか、私も実際に目の前の氷の上のロブスターが、じょじょに弱っていく様子を見たら可哀想になると思うし、何もそこまでしなくても~~~と眉をひそめると思う。 魚の活造りだって本当は苦手で、骨だけになった魚が口をパクパクさせている姿を見ると、食べるのも申し訳ない気がしちゃうし、テレビの温泉番組か何かで出演者が海鮮鍋の上の飛び跳ねるエビを「おいしそ~!」とか言ってるのをきくとゲンナリしてしまうタイプである。 だから、この裁判の正当性についてとやかく意見を述べる気は毛頭ないのだけれど、何だかな~、こういう事くらいでも(って言ったら怒られちゃうかもしれないけれど)、イチイチ裁判沙汰になっちゃうなんてお国変われば・・・・・で大変だな~って思ってしまう。 そもそもイタリアは動物保護に厳しい国だそうで、トリノ市では1日に3回以上、犬を散歩に連れて行かないと罰金なんて厳しい法律があるらしく、日本でそんな法律が出来たら一気に犬を飼う家族が激減しそうな勢いである。 そんな法律ができたら、犬を捨てざるを得ない家族が出てきて、野犬とかが増えちゃったりして・・・・・と妄想を膨らませたところで、ハタと気付く。 ちょっと待った。 その「1日3回」チェックって、もちろん犬の自己申請じゃないわけだから・・・・・ということは、隣近所が何気にチェックしてチクってこそ機能する法律なのか~??? ・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・。 そんな陰険なのイヤだ。 よかった、イタリアンじゃなくて(←私も陰険?!)。 と、犬を飼ってもいないクセに思ってみたりする。 さて、この動物愛護運動。 前からちょっと一言、言いたい事があった。 それは世界中から日本が批判を受けている「捕鯨問題」について。 例えばクジラが絶滅に瀕してるとか、そういう環境問題的な理由で捕鯨を抑制されるのなら、それは議論の余地もあると思うが(もちろん十分確かな調査を経た上でだけれども)、それが「クジラが可哀想だ」とか「今の日本はクジラ以外からも動物性たんぱく質を取れるのだから」などという単なる感情論で批判されるのは、すっごく心外なのである。 クジラは可哀想で、普段あなた達が平気で食べてる牛や豚や鶏は可哀想じゃないんですか?と言いたいのである。 日本人の捕鯨推進派は、捕鯨は長年にわたり続けられてきた日本の文化であり、捕鯨を否定することは日本の文化を否定することにつながるとしている。 そして、鯨だけを他の動物と区別して特別視することは誤っており、倫理的に批判される根拠はないと主張しているらしいが、全くその通りだと私も思うのだ。 ちなみに、私は子供の頃の給食で「クジラ肉」を食べていた世代である。 正直、あんまりおいしいと思った事はなかった。 それどころか、給食のメニューを見て「な~んだ、今日はクジラ肉か・・・・・」とがっくりしていたクチである。 だから別にクジラが食べられなくなってもちっとも困らない。 けれどそういう問題ではないのです! さしたる論理的な理由もなく、他国の文化を無視して、一方的に禁止を促す態度がひどく嫌なのだ。 世界には、様々な文化や習慣がある。 その文化や習慣の相違に優劣はないし、善悪もない。 ある国が驚くべき文化を持っていたとしても、他の国にとやかく言う権利はないし、それはお互い尊重するべきなのだ。 だいたい、クジラを食べるのが変だと言うなら、カタツムリを食べるのも気持ち悪いのだ、私は(←他国の文化を尊重してない)。 ついでに言うと、韓国では犬を食べるけれども、それに対する批判も余計なお世話だと思う。 ソウルオリンピックの時は「犬鍋料理」に世界中から批判が集まったというけれど、失礼な話だと思う。 他国の文化にケチをつける権利はないんですよ~、まったく。 もちろん動物愛護運動のおかげで、救われている生命もたくさんあるだろう。 例えば動物虐待とか。 そういう活動は素晴らしいと思う。 けれど、ただやみくもに動物愛護の観点だけで活動していることがあれば、それはヤメてほしいと思うのである。 どこまでOKなのか、動物愛護運動。 そのさじ加減が難しい。
続けざまに映画の話ばかりです(熱しやすく冷めやすい私。 そのうちすぐに飽きると思うけれど、最近のMYブームはDVDレンタル)。
例によって例のごとく、物語の舞台に惹かれて選んだ映画。 今回はウィーンとパリが舞台の映画です。 さて、タイトルの「Before Sunrise」、「Before Sunset」。 実はこれ、2本の映画。 レンタルショップで並んで棚においてあった。 この時点で2本が別の映画だと気が付かず(Before Sun・・・までしか読まなかった)、適当に1本を手にとって、カウンターへ。 早速、うちで観ようとわくわくしながらDVDをセットして、映画の宣伝とか観てて気が付いた。 ・・・・・がーん。 2本別物だったよ。 「Before Sunrise」がオリジナルで、「Before Sunset」は続編だったのに、よりによって続編の方だけ借りてきちゃったよ(怒)!!! 確かにDVDのパッケージは違う写真なんだけれども、そして制作年度が’95年と’04年で違うのだけれども、アホは私はDVDだけリメイクで、’04年に作り変えたのかと勝手に解釈してました(何でそんな解釈をしたのか自分でもナゾ)。 だから、どっちのDVDでも内容は同じだと思っちゃったよ~! そしたら、新しい方借りるのが常だし! ・・・・・ってことで、翌日またレンタルショップへ戻り、’95年制作の「Before Sunrise」を借り直してきたのでした。 前置きが長くなってしまったが、まずは「Before Sunrise」。 これはあるアメリカ人の男性(イーサン・ホーク)とフランス人の女性(ジュリー・デルピー)がパリ行きの列車の中で、ひょんなことから会話を交わすようになり、そのまま意気投合、ウィーンで途中下車して、翌日の朝までふたりで過ごすというたった1日(厳密には半日?)の話だ。 はっきり言って、お金がかかってない映画だ、絶対。 制作費はほとんどふたりの出演料で占められているのではと推測される。 理由は、映画の大部分が、ひたすら二人の会話で埋め尽くされているから。 他の出演者は限りなくエキストラに近い、ちょい役ばかり。 この二人が、ある時はバスに乗り、ある時は観覧車でキスをし、ある時は墓地を散歩し、途中レストランやバーに寄りながらもひたすら街中を歩き、えんえん会話を続ける話である。 こう書くと、すっごくつまらなそうな映画だけれど、私の感想はメチャクチャ◎である。 どうしてかというと、この二人の会話が恐ろしく?自然なのである。 列車で偶然知り合い、気が合った二人が、もう少し話していたいから途中下車しようって予定してない街で降り、普通にバスに乗り、レコードショップへ行き、街を歩いて、疲れたら食事をする。 実際、旅をしているとそんな出会いがいっぱいあるだろうから(元バックパッカー系の友人からよく聞きそうな出会いのパターン)、話の流れも不自然じゃないし、その行き先も自然で、実際にこんな出会いをしたらきっとこんな風にあてどもなく街をうろつきながら、会話を楽しむんだろうな・・・・・という、何一つわざとらしさがないところがスバラシイのである。 また、外国が舞台の映画にありがちな、その街の観光地とかがほとんど出てこないところも良い(宮殿などは多少映ってた気がするが、観覧はしていない。 あくまで会話に夢中で歩き回る二人の背景に映っている程度)。 そして何より、二人の会話がメチャクチャ普通なのである。 初対面なのに意気投合する人と出会った時、もう夢中で会話が続いてしまう時ってないだろうか?この二人の会話のテンポがまさにそんな感じなのである(私は初対面で意気投合した彼女と、9時間話し続けた記録を持っているので、すっごくよく分かる展開だ) 。 会話の内容は、お互いの家族や過去の体験などを少々。 後はほとんどが社会的問題に対しての意見とか、女性・男性の違いだとか、哲学論とかだったりする。 お互いの性格についての言及が全然ないのに、会話が進んでいくにつれ、自然と二人の考え方や性格がこちらに伝わってくるのが不思議だ。 でも実際、気の合う人と出会った時の、いっぱい話したくてたまらない時のテンションや会話の内容もこんなものだろう。 だから、映画が進行するにつれて二人の距離が縮まっていくのが、それはもう、すごくよく理解できるのである。 地味だけど、自然なストーリー。 私の好みにドンピシャだった。 (ちなみに、この「Before Sunrise」の邦題、”恋人までの距離(ディスタンス)”。 これだけはいただけない。 しかも”距離”に”ディスタンス”のルビ付き。 かなりチープっぽい響きがするのは私だけ?) そして、この映画は、半年後の再会を約束しながら、それぞれが帰路に着くところで終わる。 実際に二人が半年後に会ったかどうかはご想像におまかせ・・・・・という終わり方である。 メールを数回やり取りするも、いつのまにか音信不通・・・・・というありがちな終末が嫌だという二人は、住所や連絡先の交換もしていないので、半年後どうなったか、そこら辺もいろいろと想像の余地があっておもしろいところだ。 当時観てたら、ゆったり余韻に浸っていたことだろう。 しかし、気の短い私。 続編が出ている以上、一日たりともその余韻に浸る余裕はなかった。 というより、そのまますぐに続編「Before Sunset」へGO!!! こちらは、あの運命の出会いから実に9年後が設定。 つまり実際の続編制作までの期間と同じだけ時が流れているのである。 ここら辺がまた私のツボに入った。 当然、主役のふたりは下手な化粧で時代の流れを表す必要もなく、自然に9年分の年を経た顔をしている。 20代前半だった二人が30代前半になり、少し痩せて、皺が出て、まさにこれこそ9年後の再会なわけである。 舞台は今度はパリへ。 すでに結婚して子持ちの彼と、独身の彼女。 二人ともそれぞれの場所でそれぞれの時間を生きてきたにも関わらず、再会した途端に昔に戻って会話が弾む。 二人の性格も昔のまま、けれど同時に年を経たなりの考え方や現在の悩みなどが盛り込まれていて、二本連続で観ている私には、本当の久々の再会もきっとこんなものだろうと、これまた違和感なく引き込まれていく自然な流れなのである。 二人はパリの街を歩き、カフェへ行き、遊覧船に乗りながら、ひたすら会話を続ける。 カメラアングルもそのままである。 そして二人とも、ずっと相手の事を忘れずに生きてきたことを確認し、なぜあの時、連絡先を交換しなかったのか、あの頃ちゃんと付き合えていれば、人生は確実に変わっていたはず・・・・・などと過去に思いを馳せる。 実際にあの時会っていたからといって、その後ケンカをしていたかもしれないし、続いていたとも限らない。 そんな過去の思い出や現在の悩みなどをとめどなく続けるうちに、別れの時刻が近づいてくる。 結局、最後の別れのシーンがあるわけではないので、その後二人はどうなったのか、過去の大切な思い出として一度きりの再会で終わるのか、この再会を機に頻繁に会うようになるのか、それは分からない。 何とも中途半端な終わり方も、前作同様。 けれど、現在の彼らと同年代の私には、何だか一言一言がすごく共感できて、まるで友人の会話を聞いているようだった。 国が違っても、感じる心や考え方は大差がないんだなと思った。 この映画、賛否両論だろう。 ストーリー性があるものや、アクションなどの派手な動きがあるものが好きな人は、たぶん最初の10分で寝てしまうこと請け合い。 映画というより、普通に友達の会話を聞いているようなごく日常的な映画なので、私のようにミニシアター系、地味話好きな人しか楽しめないと思う。 私の中では、最近観た映画の中で一番印象深かった。 この映画に偶然出会えてよかったと思う。 先日、過去と現在が交差するようなラブロマンス系映画が好きだということを書いたけれども、この「バンジージャンプする」 (韓国題名も同じ)は、ちょっと・・・・・変わっている。 出演はイ・ビョンホンとイ・ウンジュ。 イ・ビョンホンは大学生時代と国語の高校教師になってからを、うまく演じ分けていると思う。 イ・ウンジュは凛とした美しさのある素敵な女優さんで、以前にブログに書いた「ブラザーフッド」にも出演していたので注目していたが、去年謎の自殺をしてしまったのは残念だ。 さて、内容だけれど、簡単に言うと「生まれ変わり」の話。 大学時代につきあっていた二人、彼が軍隊に行く前に見送りに行くからと、駅で待ち合わせたのに、いくら待っても彼女が来ない(実は途中で事故に遭って死んでいた)。 そのまま彼女と会えることなく、時間が過ぎる。 そして数年後、彼は別の女性と家庭を持ち、高校の国語教師となっていた。 始めは生徒から人気があった彼だが、ある男子生徒の言動がきっかけで、だんだん行動がおかしくなっていく。 その男子生徒は、かつての恋人と同じ言葉を口にしたり、彼女が歌っていた曲を携帯の着信音にしていたり、挙句にその昔、彼女が自画像を彫って大切にしていたライターを、どこからともなく入手していて授業中に大切に持っていたりする。 彼は、その男子生徒の中に彼女の息吹を感じ、男子生徒に対する言動が本人も気付かないうちに同性愛的なモノに変わっていってしまう。 学校でも噂になった二人、やがて彼は教師を罷免されてしまう。 男子生徒は彼の気持ちに、始めはひどく抵抗していたが、どこかで惹かれていってしまう自分を感じる。 そして二人は、生前の彼女と約束していたニュージーランド旅行へ旅立つ・・・・・。 最後は、え・・・・・?ああ、それで「バンジージャンプする」ってタイトル・・・・・。 でも、それバンジージャンプじゃなくて・・・・・。 というような感じで(どういう感じかあいまいですが)、「生まれ変わって再会」なんてファンタジーのわりには、生まれ変わった相手が同性で同性愛に発展なんて、その飛躍した設定は何???という気がしないでもない。 けれど普通に生まれ変わってハッピーエンドもつまらないので、これはこれでいいのか? 何となく借りてしまったDVDだが、内容はともかく、輪廻転生って結構好きな思想だ。 昨日見た「オーラの泉」でも、美輪明宏と江原啓之がしきりに前世について語ってた。 今、家族や友人など深い関係を結んでいる人たちとは、前世でも深い仲だっていうけれど、本当だろうか? 江原啓之の特別番組はたまに見るけれど、本当に死んだ人とか見えてるんだろうか? かなり興味津々である。 そういえば、最近知って驚いたこと・・・・・。 「袖振り合う(すり合う)も多生(他生)の縁」。 これって「多少の縁」だと思っていて、道ですれ違った人でも「多少なりとも縁がある」っていう意味かとずっと思っていたのに、実は「道で袖を振り合うようなちょっとしたことでも前世からの因縁によるものだ」という意味だったらしい。 つまり、些細な事、出会いも前世からの縁で始めから決まっていたということ。 いや~、全然間違って覚えてました。 結構こういう勘違いしやすい日本語っていっぱいあるんじゃないだろうか。 特に仏教用語は本来の意味と違った解釈が一般化している場合も多いときく。 映画の話とは関係なくなってしまったが、最近ヒットな発見だったので書いてみた。
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もうすぐ、大半の植物が苦手な夏が来る。
近所のお寿司屋さんの大座敷で落語を見た。


